洋服文化とファッション

日本において、服装の西洋化が広まることとなった直接の要因は1858年の日米修好通商条約にまで遡るといわれています。この条約により各地の港が開かれ、役人や通訳などの直接外国人と交渉をする立場の人間を中心として服装の西洋化が広まっていきました。

1864年、禁門の変を理由に長州征伐の兵を挙げた幕府は、その時の軍服を西洋式にする事に決め、急遽小伝馬町の商人である守田治兵衛(上田とも)が 2000人分の軍服の製作を引受け、試行錯誤しながらも作り上げました。日本においての洋服の大量生産は記録に残る限りこれが初となります。また、断髪令により髪型も従来の髷から散切り頭になっていきました。

その後しばらくは小規模ながらも各地に洋服の貸出し店や洋服販売店ができ、1871年(明治4年)、陸軍や官僚の制服を西洋風に改める事を定めた天皇の勅諭が発せられ、以後警官、鉄道員、教員などが順次服装西洋化していきます。

1923年(大正12年)、関東大震災で、身体の動作を妨げる構造である和服を着用していた女性の被害が多かった事から、翌13年に「東京婦人子供服組合」が発足、女性の服装にも洋式化が進みはじめました。

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