Archive for 8月, 2009

70年代のファッション

月曜日, 8月 31st, 2009

70年代前半は、60年代から続く自由や反体制といった精神性を象徴するファッションが流行していました。

ディオールのニュールックに代表される50年代までのライン時代、クレージュやマリークワントのミニスカート、このようなトレンドは70年代をきっかけに大きく変化し、「多様化」、バリエーションの時代に突入していきます。
デザイナー各自が思い思いにコレクションを発表し、消費者は自由に個人の好きなものを選ぶ、そして着る、それがファッションとなりました。

60年代のファッション

月曜日, 8月 31st, 2009

60年代は、ユースカルチャーがハイファッションの世界にも取り入れられる象徴的な時代です。流行を作っていたオートクチュールのパターンが変化しだしました。
ファッション産業はアメリカに代表される広範囲な消費者層を相手にする既製服産業への路線を歩んでいきました。

プレタポルテという新しいファッションの仕組みが登場しました。50年代よりもさらに若者文化、サブカルチャーと密接な関係が出来き、映画がきっかけで、特定のファッションスタイルも流行するようになります。

50年代ファッション

月曜日, 8月 31st, 2009

50年台のファッションは40年代後半と同様にクリスチャン・ディオールを中心に動いていきます。それはまさに「ライン時代」と表現でき、毎年のように新しいシルエットが打ち出されていきます。
そのような流れの中でバレンシアガはよりシンプルで機能的なデザインを追及していきます。ディオールは、54年の「Hライン」、55年、「Aライン」、「Yライン」、56年、「マグネットライン」を発表します。バレンシアガは「チュニック」を極めていきます。

洋服文化とファッション

月曜日, 8月 31st, 2009

日本において、服装の西洋化が広まることとなった直接の要因は1858年の日米修好通商条約にまで遡るといわれています。この条約により各地の港が開かれ、役人や通訳などの直接外国人と交渉をする立場の人間を中心として服装の西洋化が広まっていきました。

1864年、禁門の変を理由に長州征伐の兵を挙げた幕府は、その時の軍服を西洋式にする事に決め、急遽小伝馬町の商人である守田治兵衛(上田とも)が 2000人分の軍服の製作を引受け、試行錯誤しながらも作り上げました。日本においての洋服の大量生産は記録に残る限りこれが初となります。また、断髪令により髪型も従来の髷から散切り頭になっていきました。

その後しばらくは小規模ながらも各地に洋服の貸出し店や洋服販売店ができ、1871年(明治4年)、陸軍や官僚の制服を西洋風に改める事を定めた天皇の勅諭が発せられ、以後警官、鉄道員、教員などが順次服装西洋化していきます。

1923年(大正12年)、関東大震災で、身体の動作を妨げる構造である和服を着用していた女性の被害が多かった事から、翌13年に「東京婦人子供服組合」が発足、女性の服装にも洋式化が進みはじめました。